日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/9/5)

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2024年9月5日(木)

【旧約聖書】
あなたの民を救い、ご自分の民を祝福してください。とこしえに彼らを養い、担ってください。詩28:9(協)

【新約聖書】
群衆が羊飼いのいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、(イエスは)深く憐れまれた。マタ9:36(協)

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「ローズンゲン釈義黙想」は、日本キリスト教団六ツ川教会の会員向けのメッセージです。
日々、御言葉を聞くことができるように毎朝5時に更新します。
「公開」設定にしていますので、六ツ川教会の教会員でない方も、ご関心のある方はどうぞ自由にご活用ください。

釈義黙想の後に、呼吸と沈黙の時間があります。
ヨガのトレーニングから学んだ呼吸法のごく基本的な方法を取り入れています。
御言葉を聞き、呼吸と姿勢を整えて、良い一日の始まりとなりますように。
どうぞ今日も笑顔でお過ごしください。

使用しているテキストは『日々の聖句 Losungen2024』(ベテスダ奉仕女母の家出版部、2023年)です。全国のキリスト教書店でお求めいただくことができます。税込み1,400円です。

*ローズンゲンで指定された場所以外は、聖書協会共同訳聖書のテキストを用いています。

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 先月、神奈川県川崎市にある日本基督教団の教会の牧師と話をしていますと、川崎市のあちこちで再開発が行われているけれども、路上生活者が多くいるところを、あえて狙うように造りかえて、彼らを追い出すのが目的としか見えない開発が多くあるとおっしゃっていました。横浜市も関内周辺の再開発が行われていますが、似たような状況ですし、これからもこの開発は行われ続けるでしょう。路上生活者が住みにくい街づくりをすることで、綺麗に見える街を目指しているのかもしれません。スペインの思想家オルテガ・イ・ガセットは『大衆の反逆』という書籍のなかで、「人間は自分以外の人に対して意を用いない度合いに従って、それだけ未開であり、野蛮であるのだ」と指摘します。そうしますと、居場所のない人々を追い出すことでできあがった立派な建物の立ち並ぶ綺麗な街というのは、文明的というより、むしろ野蛮なのかもしれません。

 イエスは町や村を回って会堂で教え、福音を宣べ伝え、人々の病気や煩いを癒しておられました。そして本日の御言葉「群衆が羊飼いのいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、(イエスは)深く憐れまれた。」この「深く憐れむ」という言葉は、もともと「内臓」、「はらわた」という意味から派生して作られた言葉です。はらわたが痛むくらいの強く同情するということです。イエスは弱った群衆を見捨てるのではなく、その様子に内臓が締め付けられるくらい強く同情し、憐れまれたのです。そしてイエスは十二人の弟子たちを派遣することになります。それはひとえに、この羊飼いのいない羊のように弱り果てた群衆に対する同情、そして彼らに救うためでした。

 旧約の詩人は歌います。「あなたの民を救い、ご自分の民を祝福してください。とこしえに彼らを養い、担ってください。」この歌の願いの通り、神の子であるイエスは民を救う働きをなされたのです。はらわたが痛むほどの強い同情心によって、彼らを救おうとなされたのです。そう考えますと、当時の群衆の生活は厳しいものの、常に神さまに深く同情をされている、関心を持ってもらえている。イエスが回られた町や村は、たとえ立派な建物はなくても決して野蛮ではない、豊かな場所だったのかもしれません。

日本キリスト教団六ツ川教会牧師  桐藤 薫

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