Akira Ifukube: Rapsodia Concertante for Violin and Orchestra (1948/71) [Revised 3rd (final) ed.]

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Akira Ifukube [伊福部昭] (1914~2006, Japan)

ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲 (1971年改訂第3版(最終版))

Rapsodia Concertante per Violino ed Orchestra

00:00 1st mov. Adagio - Allegro
13:37 2nd mov. Vivace spirituoso

Takeshi Kobayashi, violin
Tokyo Symphony Orchestra
Michiyoshi Inoue, conducting
Recorded: February 19, 1983 (Live) at the Tokyo Kan'ihoken Hall

This formation is slightly complicated. During his stay in Sapporo, Nikko, and Tokyo between 1945 to 1948, he composed "Violin Concerto," which consists of three movements lasting 40 minutes, and was premiered in Tokyo on June 22, 1948 with violin Toshiya Eto under direction of Masashi Ueda.

However, Ifukube was not satisfied with this work that later in 1951, he took out the second movement titled Arioso, an adagio approximately 15 minutes long, leaving the first and third with some changes forming a two movement piece. This work won an honorable mention at the Genova International Composing Competition.
Ifukube later changed especially the orchestral part, then again in 1959 and 1971. This recording is the 1971 final version. Its title has been settled as "Rapsodia Concertante (Violin Concerto No.1)" after going through different names with each revision.

So then, what does this concerto mean to Ifukube's composing history? His "Symphony Concertante" of 1941 was composed in aiming for the unification of nationalism and machine civilization, and we sensed his inclination toward a radical modernism. However, because of the tragic war, he was completely disillusioned with machine civilization and modern world. His "Violin Concerto" (1945-1947) demonstrates his disbelief in modern civilization and its related music, and sought and returned to the foundation of his music making - song of Asian people, especially of powerful and pathos ones. This remains true for most of his postwar works.

First movement: Adagio-Allegro
Formed by parts ABA'B'. A is an elegy with cadenza, B is a rustic dance music where minor-touch theme mixes with notes moving up and down such as C-D-E, C-B-A, or C-B-A flat. A' and B' are contracted versions of A and B.

Second movement: Vivace spirituoso
Formed by an introduction and parts ABA'. The introduction is a characterful irregular rhythm music with timpani mp drumming being the leading role, filled with premonition towards the upcoming wild motif. In A, a mixolydian theme, effectively using ascending fifth with crescendo accompanied by a melismatic of woodwinds, is contrasted with rustic motif. B is a relaxed cadenza. In A', the mixolydian style is no longer a secondary motif, but together with the simple rhythm of conga and tom-tom repeated over and over, leads the music.

by Morihide Katayama (Translation: Aya Yamagishi) from KICC-179 "The Artistry of Akira Ifukube 5 'RAKU' - Akira Ifukube Orchestral Works"

 ピアノの次は[注:前作『ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲』(1941)のこと]、いよいよ子供の頃から弾いてきたヴァイオリンのコンチェルトを作ろうと思いました。それで、戦争中からスケッチをはじめ、終戦直後、放射線障害で倒れ、1年間、札幌で寝ていた間も、いろいろやっていました。
 しかし、一番時間を掛け、この曲に取り組んだのは、1946年の夏からしばらく、日光の山奥に住んでいたときです。あの頃は、とにかく暇でした。まだ映画の仕事もはじめていなかったし……。決まった曜日に上野の東京音楽学校(現・東京芸術大学)に教えに行く以外は、何もすることがない。それで、ひとりヴァイオリンを弾きながら、コツコツ書きました。ただ、当時は子供が小さかったので、夜になると、もう音を出せない。それで、さい箸を弓の代わりにもって、ボーイングを確かめながら書く……。回りから聞こえてくるのは、猿や鳥のわびしい鳴き声ばかり……、戦争に負けて世の中がどうなるかも分からない……。そんな環境から出て来た曲なので、ピアノの『協奏風交響曲』とは、ずいぶん違った音楽になったと、自分では思っています。
 1948年の初演の時は、齋藤秀雄さんが褒めてくれましたが、あとは概ね評判が悪かった……。
 ところで、この曲は、初演時には3楽章の作品でした。中間に15分くらいのアンダンテの歌謡楽章があったのです。確か主題は、後に映画の『ビルマの竪琴』(1956年、市川崑監督)のテーマ曲に使ったのと似たものでした。
 しかし、この楽章には、自分で聴いて、どうも納得がゆかなかった……。この曲の独奏パートは、先にも触れたように、かなり時間をかけて彫琢したのですが、そこで結局やったのは、旋律線に余計なこぶしを付けないということです。楽器にもよりますが、ヴァイオリンの場合は、こぶしを付けると、どうしても楽器の品格が失われ、音楽というより芸になってしまう……。それをなるべく避けようとし、両端楽章では何とか行ったかと思うのですが、長大な緩徐楽章では、やはりこぶしを付けないでは持たない。といって、それをやっては、この曲での独奏楽器に品格を与えるとの試みが水泡に帰してしまう。だったら取るしかないということで、カットしました。
(伊福部昭、「自作を語る」――KICC-91196~211『伊福部昭の芸術 20周年記念BOX』解説書より)

 この作品の成立事情は、やや複雑である。伊福部は、1945~48年、札幌、日光、東京で、3楽章40分の『ヴァイオリン協奏曲』を作曲し、これは1948年に初演された。が、作曲者は、この作品に不満を覚え、1951年に改作、両端楽章を手直しし、中間楽章(アンダンテの歌謡楽章)を割愛して全2楽章とした。この改作版は同年のジェノヴァ国際作曲コンクールに入選している。その後、伊福部は、この改作版に、さらに1959年と71年の2度にわたって手を加えた。ここに録音されたのは、1971年改訂の決定稿である。タイトルも改作の度に変わったが、現在は『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲(ヴァイオリン協奏曲第1番)』という呼称で定着している。
 では、このコンチェルトは、伊福部の創作史において、いかなる位置を占めるだろうか。彼は1941年の『ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲』で民族主義と機械文明の結合を志向した。それは、より先鋭なモダニズムへの傾斜を予感させるものであった。が、伊福部は結局そうした方向に進まなかった。戦争の悲惨な経過のせいで、彼は機械文明、近代世界にすっかり幻滅した。その結果、彼は、このヴァイオリン協奏曲とそれに先んじる『交響譚詩』で機械文明的音響と手を切り、自身の作曲の原点、アジアの民衆の素朴な歌声―時に力強く、時に哀愁に満ちた歌声の世界への、回帰をはかったのである。そして、伊福部の戦後の創作の歩みは、主にこの線上を推移することになる。
 第1楽章はアダージョ―アレグロ。組み立てはABA'B'。Aは独奏のカデンツァを主体とするエレジー。ここで旋律的ベースとなってゐるのは、前半が短調、後半が都節音階のト調の6音音階で、ここから伊福部の日本ともスラヴともつかぬ、独特の北アジア的哀愁が醸し出されてくる。Bは鄙びた舞曲で、短調形の諸テーマに、ド・レ・ミ、あるいはド・シ・ラ、またあるいはド・シ・ラ♭といった、単純に音階を上下する”音の遊び”が絡まる。このうち、ド・シ・ラという音型は、この曲から6年後の映画『ゴジラ』の音楽と結びつく。A'とB'は、それぞれAとBを縮小して再現する。
 第2楽章はヴィヴァーチェ・スピリトゥオーゾ。組み立ては、序奏とABA'。序奏は、mpで叩かれるティンパニが主役の、特徴的な変拍子の音楽。その後に来る野性的な弾けへの予感に満ちている。Aでは、木管のメリスマを伴いつつ、独奏が、クレッシェンドする5度上行を効果的に使った、短調のテーマを奏で、これに鄙びた民謡調の動機が絡まる。Bは中休みのカデンツァで、A'では、先の短調のテーマが、もはや副次的な動機を介在させず、コンガやトムトムの単純なリズムに乗って、ひたすらくりかえされ、昂まる。まさに伊福部オスティナートの真骨頂である。
(片山杜秀、同解説書より)

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