【精神科専門医/指導医が解説】回避性パーソナリティ症の診断と治療 

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00:00 OP
02:12 診断
09:04 奇異なナルシシズム
12:13 治療法

本日は「回避性パーソナリティ障害」について解説します。

回避性パーソナリティ障害というのは聞いたことがない人が多いと思います。
「え?どういうことですか?」
「回避しちゃうんですか?」
「ドッジボールをよけるのが得意な人のことですか?」
と言われそうですけど。言わないか。

「回避性パーソナリティ障害」というのは「回避型パーソナリティ障害」とも言われますが、最近でいうと「人間関係リセット癖」とか「HSP」という言葉で皆さん耳にしたことがあるかなという気はします。

HSPというのは感受性がとても強い人、感覚感受性が高い人のことを表す心理学的な概念なんです。
医学用語ではないんです、HSPというのは。

感受性が高い人の中で極端な人を「回避性パーソナリティ障害」、それよりちょっと弱いと「社交不安障害」と言ったりします。
正確に言うと、本当にそれが同列の概念かどうかわからないですが、イメージはそんな感じです。
そういうイメージを持ってもらえば良いと思います。

正確には違うんですけれども、臨床上というか、分かりやすく説明するには、それが合っているかなと思います。

■診断

社交不安障害と回避性パーソナリティ障害は、医学概念の話をするとどう違うかというと、社交不安障害は、基本的には人間関係でも「社交的な状況」を中心としています。

空想上というよりは、現実的に起こる社交的な場面、現実的な場面、会議とかそういうところを中心に「明日会議があったらどうしよう」という感じで、会議を中心に不安が押し寄せていって、日常生活も支配されるようなイメージなんです。

「あした会議だ、嫌だな」
「明日あんなことあったら上司から嫌われるかもしれないな」
「上手くやれないかもしれないな」
「あの上司よそよそしかったな」

そういうイメージです。
「やっぱやりたくないな」とか。

反対に回避性パーソナリティ障害は、とにかく人生というか、生活全てが嫌だ、2023年ももうこれもこれもこれも嫌だ、というイメージなんです。
そもそも日常全体が不安というか回避であって、それが他のいくつかの場面においても問題があるというようなイメージです。

概念として理解するのは難しいです。
実際の社交不安障害の患者さんをたくさん診たり、回避性パーソナリティ障害の人を診ていく中で境界線が定まっていく、というのが臨床的な言い方かなと思います。

社交的な状況を中心として不安を感じているということと、人生全体において恐れていくというのが回避性パーソナリティ障害です。

では具体的に診断というのはどういうものがあるかというと、このDSM-5を見ながら説明します。

今から話す7つのポイントのうち4つ以上あると、回避性パーソナリティー障害と診断されます。

社会的抑制、不全感、否定的評価に対する過敏性の広範囲な様式です。
成人早期までに始まり、どんな場面でも明らかになる以下の4つの特徴だ、と。

「広範囲の様式」というのがパーソナリティ症の特徴だし、「社交場面」において過度な不安を抱いてしまうというのが社交不安障害です。

1)批判や拒絶を避けるために、職業的に避ける、仕事に影響がある、です。
こういう職業を選ばないということです。
営業職は絶対しませんとかそういう感じです。

2)好かれている場合じゃないと、人と付き合わないということです。
わかりますか?
そういう特徴があったりします。
完全にあの人は僕のことを好きだと思わないと、なかなか本音で喋れなかったりするんです。
僕とリョーハムさんの関係みたいなもんです。

リョーハムさんは当事者YouTuberの方で、今は昔ですね、僕のチャンネルの切り抜き動画を初めてした人で、そして縁があって、今、自助会の当事者会・患者会の運営スタッフの1人として働いてくれてるんですけれども、そのリョーハムさんとしか僕は喋らないという感じと似てます。

それ以外の人はちょっと警戒しているというのは回避性パーソナリティ障害の特徴です。
といって、僕はそういう障害であるということではないです。例です。

3)恥をかかされる、またはバカにされることを恐れるために、親密な関係でも遠慮する。恥を極端に恐れるということです。
これが違いますね、僕の場合は。
恥をかいても別にいいと思っているのでYouTubeをやっている。

4)社会的な批判、拒絶されることを恐れる、誹謗中傷を恐れる。
批判、怒られたりすることをすごく嫌がったりするというのはこの特徴です。
僕はあまり気にならないので、やはり違うなと思います。

5)不全感のために新しい対人関係状況で抑制が起きる。
自分はダメだと思うから、人間関係を作りたがらないです。
新しい人間関係を作らない。

6)自分はダメな奴なんだ、自分には長所がない、ダメ、劣っているんだという風に思う。

7)恥ずかしいことになるかも知れないという理由で個人的な危険を起こすこと、新しいことにチャレンジすることをやらない、引っ込み思案、チャレンジしない。

以上の7つの項目のうち4つ以上当てはまると、回避型のパーソナリティ症を疑いますよ、ということになります。

■奇異なナルシシズム

奇異なナルシシズムという話をしようと思います。

自分に対する関心が高すぎる、ということなんです。
それは自己肯定感の低さや不安もあったりしますが、普通の人はそんなに自分のことに興味ないよな、人からそう思われるのに興味ないのにな、というところがわからない。
独特のナルシシズムなんです。

自己愛性パーソナリティ症であれば、「自分はすごいんだ」という形でナルシシズムがあり、「じゃあ俺をもっと見てくれよ」「俺は絶対やれるんだ」「俺を批判するお前らが悪いんだ」という形の尊大なナルシシズムなんですけれども、回避型のパーソナリティー症というのは、自分には関心があるんだけれども自分がダメな奴だと思っている、そういうナルシシズムなんです。

すごく嫌な目に遭うんじゃないか、すごい恥をかかされちゃうんじゃないか、というナルシシズムです。

でもその裏には、褒められたい、そういう欲望がなくはないんです。
なくはないというか、普通は褒められたいので、みんな。
人並みかどうかわからないですが、ある種自分に関心がある分、人よりも強い関心があるのかもしれないですけれども、この奇妙なナルシシズムがあるというのが特徴です。

喋っていると不思議なことを言われます。
「益田先生はそうやってYouTubeをやって、どんだけ好かれたいんですか」と言ったりすることもあります。
「これ以上人気者になりたいんですか」と言われたりするんです。
「登録者数を増やしたいと思ってるんですか」と言われたりしますけど、別にナルシシズムとは関係ないから、登録者数を増やすかどうかは。

褒められたいけれども、「登録者数を増やしたい」はあくまで目標であって、売上のためでもあったりするので、何かそこじゃないんだよな、というのを思います。

もちろんすごい僕がお金を欲しいわけじゃないけれども、まあ人並みにお金は欲しいですから。でも何かちょっと違うんだよなみたいな感じになります。
全てがナルシシズムに引かれて吸い寄せられるような、ちょっと独特な感じがあります。
それは自己愛性パーソナリティ症の人もそうですが。

例えとしては不適切かもしれないけど、お寿司を食べていて、「おいしいね、お腹いっぱいになったね」と言ったりするのが、自己愛性パーソナリティ症の人だと「こんな高い寿司に行けるのすげえぜ」みたいな感じ。
回避性の人は「こんな私がこんなお寿司食べるなんて本当に申し訳ない、恥ずかしい」「きちんと食べれたかどうか、お作法ができたか恥ずかしい」そういう感じです。

■治療法

治療法についてはどうしていくのかというと、「自分を知る」ということです。

自分はこういう人なんだ、自分に関心がある人なんだ、「いや恥ずかしい、そんな人だと思いたくない」じゃなくて、まあ自分ってそうなんだなという自己理解です。

そして他人は自分と全然違うんです。
ただ、他人の感覚ということも理解する必要はあります。
「自分に関心がない人間なんかいるんですか?ホントに」と患者さんに言われます。
そりゃいるよ、自分に関心ないじゃない、多くの人はそんなに関心ないんだよ、と言っても不思議がるんです。

「例えば世の中のおじさんを見てみなよ。お腹は出てるし、脂も乗ってるし、臭いと言われてもタバコは吸い続けるし、お酒だって飲み続けるわけじゃない?」そういうことです。
そんなに関心ないんです。
そういう他人のことを知っていくことが重要です。

あとはしなやかさです。柔軟さ。
頑ななんです、頑固というか。だいたい頑固です。
そんなの合わせたらいいじゃないとか言うんだけど、その頑固さ、ある種のナルシシズムのような頑固さがあったり。

あとは他罰的な部分もあるんです。正義感が強いというか、良くも悪くも。
自分はこうなんだと自分の身の回りのものに対する関心があるから、それに対して正しく直すのが好きなので、秩序立てたいんです、自分の周りのものを。

部屋をきちんと片付けなきゃいけないし、片付けられていない自分はダメなんだと言ったりするんですけど、別にいいじゃん、そんなことは別に。
そこをそんなにこだわらなくてもいいじゃないか、とか。

きれいだったり丁寧な暮らしというのが理想だけど、そんなの言ってたら生活できないし、丁寧な暮らしをするよりもテレビ観たりしたいし、自分はそういう人生がいいんだから別にいいんですよ。
そういうのがわからないというか、そういうのは「自分は情けない奴なんだ」とか思っているみたいです。
いや、そんなことないよ、しなやかに行こうよ、ということなんですけど。

こういうものを理解していって、実践していくというのが回避性パーソナリティ症の治療ということになります。

なかなか実際イメージがわかりにくい人も多いかもしれないし、過去の人間関係を思い出してみると「あ、あの人だ」みたいなことあるかもしれないです。

概要欄続きはこちら
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