関東土の城の究極【滝山城】東京に残る北条流築城術の城を紹介

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次回は「滝山城の戦い」と「八王子城への移転」について紹介する予定です。

東京都八王子市。都心からそれほど遠くないこの場所に戦国城郭ファンに有名な滝山城があります。この滝山城はアクセスもよく、都立滝山公園としてしっかり整備されているので安心して見学できます。城に入るときはじめに急な坂道を登りますが、後はそれほど高低差もなく、山城と呼ばれているそうですが、ひたすら坂道を登る登山のような覚悟も必要ありません。街中にあるにも関わらず保存状態は最高で、誰が見てもわかる巨大な堀や土塁など城の防御施設があちこちに残っています。しかもその構造はよく考え抜かれたもので、巧みな縄張りに感激してしまいます。心霊スポットなんて噂もあるので、明るいうちの見学がおすすめです。
ところがこんなに手をかけられた素晴らしい滝山城は、戦国時代の終わりに突如廃城となり、城の機能は八王子の山奥に移されてしまいます。この城の城主はどうして滝山城を捨ててしまったのでしょうか。気になりますね。
今回は滝山城とその後に築かれた八王子城、そしてこの二つの城をとりまく歴史の流れについて、3回に分けて紹介しようと思います。第一回目は戦国の城のなかでも有名な滝山城の防御システムについて、城跡を歩きながら紹介します。
滝山城は多摩川と秋川の合流点に近い、加住(かすみ)丘陵と呼ばれる台地の上にあります。城の北側、川がある方向は急な斜面となっており、こちら側からは攻めることが難しい、「後堅固」と呼ばれる城のつくりです。台地の急斜面側に城の中心本丸を置き、そのまわりにいろいろな曲輪を配しています。驚くのはその大きさ。城域はこの台地の上に延々と約1キロ四方に広がっています。
滝山城の城主は北条氏照。関東を支配した北条家三代目当主、氏康の三男です。もともと大石氏の城であった滝山城にさまざまな曲輪を付け加え、この地域を支配する巨大な城に改修しました。
気になるのはこの滝山城が実際の戦いでどのように機能したのかということです。滝山城は、甲斐の戦国大名武田信玄率いる2万人の軍勢に攻撃されたことがあるのです。このとき城主氏照を中心に城内で迎え撃つ北条軍の数は2千人。10倍の兵に囲まれた滝山城はどのようになってしまうのでしょうか。この滝山城の戦いについて次回の動画で紹介しますので是非ご覧ください。

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