もう限界!【滝山城の戦い】10倍の敵を追い返したのに新拠点「八王子城」が建設された理由

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滝山城の紹介動画はこちら    • 関東土の城の究極【滝山城】東京に残る北条流築城術の城を紹介  

今回は、北条家の滝山城と八王子城についての紹介の二作目です。次回三作目は八王子城の紹介と落城することとなった戦いがメインとなります。
動画内の滝山城縄張り図は現地案内看板、パンフレットのものです。(作図 中田正光氏)

関東を支配した北条家の滝山城。城の遺構は現在でも目にすることができます。
滝山城は1569年に武田信玄率いる2万の軍勢に攻められるのですが、落城せず持ちこたえました。城を守る北条軍の兵力は2千だったということなので、およそ10倍の敵を追い返すとはなかなかのものです。巧みな防御システムがしっかり機能したのだと思われます。ところがその戦いの後しばらくして、氏照はここから離れた深沢山(ふかざわやま)に新しい城を築き、そこに移ります。不思議なことに10倍の武田軍を追い返した守りの硬い城であるにもかかわらず、滝山城はあるときから使われなくなってしまったのです。それにはどのような理由があったのでしょうか。そして滝山城に代わる新しい城とはどのようなものだったのでしょうか。今回は滝山城をめぐる武田と北条の戦い、そしてその戦いの後北条氏照が築城した八王子城について、紹介します。

次回は八王子城での優雅な生活と、激しい八王子城の戦いについて紹介します。

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