地歌《三津山》 Jiuta "Mitsuyama"

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2009年10月26日紀尾井小ホールで開催致しました「第10回藤本昭子演奏会」より地歌《三津山》(歌・三弦:藤本昭子、箏:渡辺明子)。
Akiko Fujimoto (voice, sangen), Akiko Watanabe (koto) play Jiuta "Mitsuyama" at Kioi Small Hall, 26 December 2009.

 〽やらやらめでたや」とスタート致しました「地歌箏曲YouTube」は、連続公開を続けながら、本日でちょうど100本公開の節目を迎えることとが出来ました。記念すべき100本目には、地歌名曲中最長の35分を要する大曲《三津山》を選びました。
 九州系地歌箏曲では、《三津山》を手事物の最高峰として大切に継承して参りました。地歌の原拠となった能の「三山」は、「耳成・畝傍の里に住む桂子、桜子に二股をかける香具山に住む膳夫公成が、最終的に若い桜子を選び、桂子は入水して果て、怨霊となって後妻打ちをする」と言うおどろおどろしい内容ですが、何故か地歌では桂子が自死するところを省き、春の夜の夢として終結します。
 とにかく歌詞が長く「手事」は二つあり、後歌にも長い「合の手」が挟まり、ドラマチックな物語を描いていきます。光崎検校の作品らしい複雑で繊細な技巧が随所に散りばめられ、なんと言っても並大抵ではない歌唱力を要します。
 祖母は母の稽古の際、ある箇所に来ると必ず「まぁ、ちょっと待ってちょ」とおもむろに三味線を置き、「桂子が可哀想で可哀想で…」とおいおい泣くのだそうです。そう言う母も一緒に涙を流していたそうです。祖母の名は「阿部桂子」ですから、「桂子」に思い入れが一入なのは当然と言えば当然なのですが…。
 母が亡くなって2年後のこの日、私は《三津山》を初めて舞台にかけました。稽古してもらった記憶を辿り、就寝時には祖母、母の音源を聴き睡眠学習の日々も過ごして舞台当日を迎えましたが、その間、祖母と母が三味線を置いてひとしきり泣いたと言う、〽️その時桂子恨み詫び、さては我が身も変わる世の、夢も暫しの桜子に〜移る人をば恨むまじ」の歌詞に、私も涙が止まらなくなる経験をしました。
 母の存命中に、その境地まで辿り着けなかったことを心から悔しく思いました。その母が渡辺さんに託した箏に支えて貰っての《三津山》初舞台でした。
 今年12月に「地歌ライブ第100回記念公演」の開催を予定しておりましたが、新型コロナ感染症の拡大が続く中、今年予定しておりました「地歌ライブ」3公演は、全て来年に延期となりました。その代りではございませんが、このYouTube公開が先に100回を迎えました。
 まだまだ記録映像がたくさんございますが、明日からは折を見て公開を続けていきたい存じます。
 YouTube公開をご許可下さいましたご助演の演奏家の皆様、これまでご覧下さいましたたくさんの皆様にこの場をお借りして心より厚く御礼申し上げます。次回公開を是非お楽しみにして頂きたく存じます。

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