日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/8/8)

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2024年8月8日(木)

【旧約聖書】
主がヨセフと共におられたからである。主は、彼のなす事が順調に運ぶようにされた。創39:23(協)

【新約聖書】
これに対し、霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。ガラ5:22-23(協)

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「ローズンゲン釈義黙想」は、日本キリスト教団六ツ川教会の会員向けのメッセージです。
日々、御言葉を聞くことができるように毎朝5時に更新します。
「公開」設定にしていますので、六ツ川教会の教会員でない方も、ご関心のある方はどうぞ自由にご活用ください。

釈義黙想の後に、呼吸と沈黙の時間があります。
ヨガのトレーニングから学んだ呼吸法のごく基本的な方法を取り入れています。
御言葉を聞き、呼吸と姿勢を整えて、良い一日の始まりとなりますように。
どうぞ今日も笑顔でお過ごしください。

使用しているテキストは『日々の聖句 Losungen2024』(ベテスダ奉仕女母の家出版部、2023年)です。全国のキリスト教書店でお求めいただくことができます。税込み1,400円です。

*ローズンゲンで指定された場所以外は、聖書協会共同訳聖書のテキストを用いています。

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 使徒パウロは、ガラテヤの信徒に向けて、「肉の行いと霊の実」をテーマにこのように語ります。肉の行いというのは、「淫行、汚れ、放蕩、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒り、利己心、分裂、分派、妬み、泥酔、馬鹿騒ぎ、その他このたぐいのものです。以前も言ったように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはありません」と断言します。この肉の行いであげられたものを見てみますと、これらはすべて自分自身で生み出すことのできるものです。自己中心主義に生きる行為に関わるものばかりが挙げられています。他方、本日の御言葉にあるように、「これに対し、霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」霊の結ぶ実、つまり神さまによって結ばせてもらう実というのは、すべて他者と関わるものです。他者によって生じさせてもらわなければならないものです。霊の結ぶ実、愛や喜びや平和といったものは、すべて神さまからの恵みなのです。

 ヴィクトル・ユーゴーの名作『レ・ミゼラセブル』では、主人公のジャンバルジャンが19年ものあいだ服役し、行く先々で冷遇されていましたが、カトリック教会の司教ミリエルは彼を温かく迎え入れます。その夜、司教が大切にしていた銀食器をジャンバルジャンは盗んで逃走しますが、翌朝憲兵に捕まえられ、司教のもとに引き出されます。しかし司教は「食器は私が与えた」と言ったうえに銀の燭台も彼に差し出します。人間不信と憎悪の塊であったジャンバルジャンの魂が解放され、正しい人になるように生涯をささげるきっかけとなった、大変有名な物語です。

 霊の結ぶ実は、他人によって生じさせてもらわなければならないものです。そして生じさせてもらえたならば、今度は自分が他者に霊の結ぶ実を生じさせる役割を果たすのです。旧約聖書からはヨセフ物語の一部が与えられました。これはポティファルによって理不尽にも投獄されたヨセフが、牢獄で牢獄長の信頼を得、囚人たちすべてをヨセフに任せるようになったと書かれています。その理由として、聖書は「がヨセフと共におられたからである。主は、彼のなす事が順調に運ぶようにされた。」と記します。ヨセフは神さまによって良い実を結ばせてもらっている。だから、牢獄長や囚人たちに良い実を結ばせる働きをすることができたのです。ヨセフはミリエル司祭のように他者を赦し、そして囚人のなかにはジャンバルジャンのように正しい人になるべく、回心して生涯を神さまに献げるようになった人がいたかもしれません。

日本キリスト教団六ツ川教会牧師  桐藤 薫

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