日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/6/29)

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2024年6月29日(土)

【旧約聖書】
若き日に、あなたの造り主を心に刻め。災いの日々がやって来て「私には喜びがない」と言うよわいに近づかないうちに。コヘ12:1(協)

【新約聖書】
(私は)ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」ルカ15:18-19(協)

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「ローズンゲン釈義黙想」は、日本キリスト教団六ツ川教会の会員向けのメッセージです。
日々、御言葉を聞くことができるように毎朝5時に更新します。
「公開」設定にしていますので、六ツ川教会の教会員でない方も、ご関心のある方はどうぞ自由にご活用ください。

釈義黙想の後に、呼吸と沈黙の時間があります。
ヨガのトレーニングから学んだ呼吸法のごく基本的な方法を取り入れています。
御言葉を聞き、呼吸と姿勢を整えて、良い一日の始まりとなりますように。
どうぞ今日も笑顔でお過ごしください。

使用しているテキストは『日々の聖句 Losungen2024』(ベテスダ奉仕女母の家出版部、2023年)です。全国のキリスト教書店でお求めいただくことができます。税込み1,400円です。

*ローズンゲンで指定された場所以外は、聖書協会共同訳聖書のテキストを用いています。

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 戦前の頃の様々な写真を見ると、そこに映っている子どもたちは随分と大人びていて、高校生になると大人のようにしか見えないと感じたことがよくあります。正直なところ、今の子どもたちの顔とは全く違った、引き締まった凛々しい顔立ちです。そんな写真を見ながら、「皆さん、しっかりされているなぁ」と感心したものでした。しかし、それは必ずしも良いことばかりではないかもしれません。上間陽子さん編集の『復帰50年 沖縄子ども白書2022』のなかに、田嶋正雄さんという方が、このように書かれています。「子どもの『子ども時代』を保障する。おとなが子どものためにできることは、それに尽きるのではないか。」つまり、厳しい環境や貧困といった状況は、子どもを子どものままでいられなくさせます。自分にかかるお金、自分が使えるお金、そんなシビアなことを子ども時代に突きつけられますから、何かを我慢し、何かを見切って生きるしかありません。子どもではいられないのです。だから、子どもが子どもらしく何かに没頭している、没頭できる環境を整えるのが、が子どもが子どもの時代をゆっくりと過ごすことができる環境を整えるのが、大人が子供にしてやれることなのです。

 神さまとの出会いも、子どもの頃になされるのが望ましいことです。コヘレトの言葉にこのように書かれていました。「若き日に、あなたの造り主を心に刻め。災いの日々がやって来て「私には喜びがない」と言うよわいに近づかないうちに。」若いうちに、神さまとの出会いを経験しておくと、たとえしばらく教会から離れた時期があったとしても、何かをきっかけに教会に戻るというケースがよくあります。教会に行くことへの抵抗があまりないのです。しかし、子どものときにその経験をしていないと、年齢を重ねてからでは、自分の力で生きてきたという思いがあるからでしょうか、神さまとの出会いがなかなかできず、「私に喜びがない」と不平不満を言いながら日々を過ごすことになってしまうのです。それは本当に残念な生き方です。

 放蕩息子の喩えは良く知られています。「ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」父親から財産を譲り受け、すぐさま父のもとを離れて放蕩の限りを尽くして、無一文になったこの若者は、再び父親のもとに戻ろうとします。戻ろうと思ったのは、若い日に神さまとの出会いを経験しているからです。人生で挫折したとき、若き日の神さまとの出会いの経験は、この若者のように神さまのもとに戻るという選択肢が素直に出てくるのです。

 貧困などの家庭環境によって、子どもでいる時間をほとんど与えられなかった人は、外見は立派でしっかりしているように見えますが、心には満たされない思いを抱えているかもしれません。大人になってからでも、もちろん神さまとの出会いは可能ですが、子どもの内に経験するに越したことはありません。子どものときの神さまとの出会いを経験は、大人になったとき、必ず心の支えになるのです。

日本キリスト教団六ツ川教会牧師  桐藤 薫

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